前々から書こうと思って1年も経っていたもの。タイミングを逃している感じはありますが、お蔵入りするのも悲しいので、なんとかのこしておきます。

テーマは「大森靖子は宗教であるか?

前々から思っていたことは、

  • 日本以外の国の人は何らかの宗教を信仰していることが多い
  • しかし、日本は無宗教の人が多い
  • 日本人は宗教で得られる要素を別のものから得ているのでは?
  • 音楽、アイドル、漫画、映画、アニメ、小説、絵、などは宗教の代わりになっているのではないか?
  • ファンのことを信者と呼んだりするし

ということ。

そんな時に読んだ本がこれ↓です。
「完全教祖マニュアル」(架神恭介,辰巳一世)
タイトルはちょっとふざけているかもしれないけれど、内容は、「宗教を起こすという観点から宗教の本質を知る」もので、興味深い内容になっています。

また、大森靖子さんに関しては、

  • 自分が好きなアーティストの中で一番宗教っぽい感じがする
  • 「洗脳」というタイトルのアルバムがある
  • アルバム「kitixxxxgaia」は神様テーマ
  • 楽曲名「ドグママグマ」のドグマは宗教の教義
  • お寺でもライブをやっている
  • 神様になりたい発言

などなど。

前々から思っていたことと、宗教に関しての本を読んだことと、大森靖子さんのこととが自分の中でちょうど重なったわけです。
そこで、「完全教祖マニュアル」にかかれていることと、大森靖子さんを照らし合わせて、「大森靖子は宗教であるか?」を考えてみようと思ったのです。
(宗教に関する本はアレ1冊しか読んでいないから、にわかな考察ではありますが)

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教祖とは人々をハッピーにする人


「完全教祖マニュアル」では、「教祖とは人々をハッピーにする人」として本の中で強調しています。これが宗教の本質です。
では、大森靖子さんはというと、もちろん人々をハッピーにしているでしょう。ファンも多いし。

現在の社会システムで不幸になる人をハッピーにする


大森靖子さんは、今の社会で生きづらいと感じている女の子を肯定するために音楽をやっていると度々言っているので、これも合致しているでしょう。

宗教は反社会的であるべき


大森靖子さんはたまにネット上で炎上しています。そのことからも、今の社会システムで普通に生きれている人からしたら反社会的だと思われている点もあるのでしょう。
反社会的なことが悪いことかというとそうでもなくて、今の社会に問題があるから不幸な人がいる、そういう人を救うために別のシステムを作ろうというのは反社会的そのものなので、社会システムが変化する時に反社会的なものとして捉えられるのは当然なのです。
大森さんの炎上は大抵が、アイドルとか女の子とかが不幸になるような世の中に対して何か行動したり発言したりしている時で、自分の目から見るとまっとうなこと言っているなという感じです。そもそも、大森靖子さんって経歴を見ると、いいとこの高校でて、美術大学卒業して、アーティストとしてメジャーデビューして、結婚して子供も育てながら音楽活動も続けていて、すごくまっとうなのです。

人間(信者)の需要に寄り添うのが教義をつくる基本


大森さんの教義に当たるものは何なんだろう。
ひとつ思い当たるのが、「ファンの一人ひとりに輝いて欲しい」ということ。楽曲「マジックミラー」にも込められていることで、ファンの一人ひとりを肯定して、ファン自身のフィールドで活躍して欲しいという思いがこもっています。「社会からはみ出している人を全員救いたい」というものではなく、「社会からはみ出して今は世に出てこれていない面白い人が世の中にでれるようにしたい」という趣旨のことを大森さんが以前書いていました。「自分の歌でファンが変化する様子を見たい」とも言っています。つまり、ファンが期待されているのは受動的に救われることではなく、歌を聞いて変化したら能動的に行動して面白いことをやれということです。

これは教義としてファン(信者)の需要に寄り添っているかと問われると、自分は寄り添っていると思っています。
というのも、だいぶ前のラジオでのことだけれども、大森さんのファンの性質というものがあり、それが「こじらせているけれど意外とポジティブ」。意外とポジティブな部分をBoostするのが大森さんなのだろうなと思います。
この前にあった大森靖子襲名イベントも、自分の長所や職業を当てはめて大森靖子を襲名するという、この趣旨に沿った内容だと思います。

宗教も科学も世界を捉えるための一手段


「宗教とは新しい価値観を与えるもの」であるように「大森靖子とは新しい価値観を与えるもの」、そう捉えると、大森靖子さんも世界を捉えるための一手段とも考えられます。

また、〇〇は宗教か?という話は大森靖子さんに限ったことではなく、他のアーティストやアイドル、漫画や小説の作家などなどにも当てはまりうるものなのです。
その中で、自分がなぜ大森靖子さんを選んだかといえば、教祖もしくは神様の立場となる大森靖子そのものの面白さと深さからでしょう。教祖や神様が当たり前のことばかり言って何も得るものがなければ、「新しい価値観を与えるもの」として成立しないのです。その点、大森靖子さんは、今の社会に対する感度が高く、社会から何かを感じ取ったあとの反応や行動が早いのです(自分個人の感想ですが)。そのため、大森靖子さんの発信する言葉や音楽や行動は、新しい価値観が含まれたものが多く、飽きずに楽曲や活動を追い続けられるのでしょう。

大森靖子は宗教であるか?


この記事のテーマ「大森靖子は宗教であるか?」に対する結論として、
大森靖子と宗教には今まで上げてきたように共通点は多く存在します。
ただ、「大森靖子は宗教である」とは言い切りたくないなと個人的には思っています。というのも、宗教という枠に当てはめて押し込めるのも面白くないから。何かの性質を捉えるために既存の枠に当てはめてみるのは良い試みではあるけれど、それを決めつけてしまうのはつまらないものです。それに、大森さんなら今後も枠を超えるようなあれこれをやり続けるのでしょう、それが超歌手 大森靖子なのだから。