2chまとめサイトを見ている時、よくある「人生とは○○である」系統でこんな格言を見つけました。

人生はマラソンと同じ
くるしいと思ったら登ってるとき
楽だなーと思ったら下ってるとき

人生をガラリと変える名言 格言:哲学ニュースnwk

最初は「なるほどな〜」と思っていましたが、よくよく考えると、どこか違和感が。

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自分がランニングしていた時の経験からすると、下り坂は特に楽ではないというのが違和感の正体。
速度をキープしたいのに、下り坂では速度がでてしまいペースが乱れたり、そうならないようにブレーキをかけようとすると走り方がぎこちなくなったり。
平坦な道に比べると下り坂は楽ではないですね。

もしかしたら、これを書いた人はそれほど走った経験がなかったのかもしれません。

「人生とは○○である」の〇〇には自身の従事したものが何でも入るんじゃないか


あまり経験がないことから「人生とは○○である」を作るとおかしな点や納得出来ない点が出てきそうなのは予想できます。
逆に、自身が時間や労力をかけて従事してきたものなら、なんでも「人生とは○○である」という格言が作れるんじゃないかとも思います。

例えば、もし自分が、
「人生とはTCGである」に理由をつけてください。
というお題を出されたら、自分なりにいくつか考えて作れるような気はします。

他の人も、自身が従事してきたものについてなら何でも、「人生とは○○である」の理由を付けられると思います。
絵を描くことだったり、音楽だったり、映画やスポーツだったり、歴史だったり、仕事の内容そのものだったり。
生きてきた期間がまだ短い子供は難しいかもしれないですが、ある程度の年齢を超えた人達なら、誰しも「人生とは○○である」を表現できるのでしょう。

実はこれは当たり前のこと


誰しもが「人生とは○○である」を作れるということを、さも新しく気づいたことのように書いてきました。
しかし、改めて考えると、これって実は当たり前のことですよね。

人それぞれが人生を歩んでいて、その中で長い時間と労力を注いだモノが人それぞれにある。
その人にとっては、それが人生の中で(一部だとしても)大きな部分を占めている。
この構図は、まさに「人生とは○○である」ですよね。

他人の「人生とは○○」を知るのは面白い


誰にも作れるものですが、面白いところは、「人生とは○○である」の○○とその理由付けが人それぞれで違うというところ。
その人の素性や考え方を知れる面白さがありますし、伝える側も良いこと言ってやろう的なやりがいが出そうです。
他人から見れば一見しょうもないような○○であっても、それを長い時間とたくさんの労力で主観的に経験してきた人の理由付けを聞けば、その分野の深い部分の面白みを知ることができそうです。

たとえば、何かしらのグループとかで、メンバーそれぞれが「人生とは○○である」を作って発表しあうみたいなことをしたら、良い相互理解が出来そうな気がします。



余談
いつぞや、ニコニコ動画でMTGの大会の配信を見ていました。
その時、対戦の合間にプレイヤー達に「あなたにとってMTGとは何ですか?」という質問がされていました。
その回答で、序盤で「MTGとは人生」というものが多かったらしく、途中からインタビュー方法に「やはり人生ですか?」とか「人生以外にどう例えられますか」といった調整が入っていました。インタビューのこの質問で「プレイヤーにとってMTGが人生なのは当たり前」な雰囲気になっていたのを、これを書きながら思い出しました。大きい大会で上位に行くような選手ならやっぱりそうなりますよね。