僕は不定期なペースではありますがブログの記事を書いてサイトで公開しています.
それとは別に,「絶対に他人には見せてはいけないノート」というのも持っていて,その名の通り自分以外の誰も見ないということを前提にたまに何か書いていたりします.こちらの方は普通の紙のノートなので手書きで,月1回くらい開くかな.
そして,この前,結城浩さんのページで王様の耳はロバの耳というサービスを見つけました.ロバ耳というのは,同名の童話のように,他の人には内緒にしないといけないようなことを含め,何でも聞いてくれるというものです.サイトから投稿した内容はメールとして結城さんの元に届き,結城さんはそれに目を通すのですが,その内容は公言することは無いというのはもちろん,返信もしないというものです.
上記の3種のように,
「誰にでも見れる」
「自分だけが見れる」
「ある特定の人だけが見れる」
という文章を見せる人が異なるモノを書くということをしてみて,それぞれで自分が書く内容がかなり変わってくるなと感じました.
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「誰にでも見れる」ものについては,好きなように書きますがあまりにも知られたくないような個人的すぎることは書かないという制約があります.
「自分だけが見れる」ものについては,そういう制約は関係なくなるので個人的すぎることでも何でも書き出します.
「ある特定の人だけが見れる」ものについては,上記の2種の中間的な程度で個人的なことも書きます.
上であげていた「ロバ耳」は「ある特定の人だけが見れる」ものの中でも,「聞いた側は内容を公言しないし返信もしない」というルールがあることで,「自分だけが見れる」ものに近い内容を書ける状態になります.
実際に自分も「ロバ耳」宛に話す内容を書いてみたのですが,その中で,「自分だけが見れる」ものと「ロバ耳」での内容の違いを感じました.
「自分だけが見れる」ものについては,読み手は自分ということで曖昧な表現や省略を使うことがあります.どうせ読むのは自分だから,この程度の説明で何のことか分かるだろう,思い出せるだろう,という感じで.そのおかげで,細かい部分は省略しながら書けるので書く内容のスピードが早いです.同じ文章量でもより遠いところまで話を進められるということ.
一方で,「ロバ耳」のほうは,公言も返信も無いとはいえ,読み手は結城さんなので結城さんに自分の言いたいことがちゃんと伝わるように書く必要がある,と思いながら書いていました.そのため,自分だけしか特定できない曖昧な表現や省略は,分かるように書き下すことが必要になります.これによって,書く内容のスピードは下がってしまいます.しかしながら,自分だけの時には省略していた部分を明文化することになるので,より具体的なので話を深く掘っている感じになります.
自分の考えを深めるために書くことは重要で,さらに,自分だけが読むかそれとも他の人が読むかという想定によって思考パターンが変わるんですね.
どちらが良くてもう一方は劣っているということではなく,同じ内容を書こうとしても,読む相手の想定を変えることで,別の視点から書く内容を捉えられるようになるということです.
人によって,自分の中だけで考えることが好きな人がいたり,誰かに話すということが好きな人がいたりします.好きな方法や慣れている方法をいつも利用しがちですが,たまには別の方法でやることで,同じ内容からも今までとは違った視点から新しい側面に気づけることがあるかもしれないです.