まったく考えがまとまっていない状態ですが,最近考えていることがあるので残しておきます.
それというのは,
「窓的なアーティスト,鏡的なアーティスト」というもの.
考え始めたきっかけは,大森靖子さんの「マジックミラー」という曲からです.
大森さんがこの曲に込めたメッセージは,
「大森さんの音楽が鏡となってファンの人それぞれが抱いている理想のイメージを,何倍にも大きくしてその人それぞれに映し返して見せてあげたい」
と自分では解釈しています.
このことから,そのままですが「鏡的なアーティスト」という概念がありそうだと考えました(というか,こういう概念があったらかっこいいな,と思っていろいろ考えを巡らせていました).
もし,この「鏡的なアーティスト」が,一般的なアーティストと比較して特殊なものだとしたら,いわゆる一般的なアーティストとはどういうものなのだろう?
そう考えた時にイメージした比喩表現が「窓的なアーティスト」です.
ここで言う「アーティスト」は,音楽家でもいいですし芸術家でも作家でも漫画家でも映画監督でもファッションデザイナーでもいいです.
一般的なアーティストがなぜ「窓的なアーティスト」なのか.
アーティストたちは,独自の世界観を持っていて,それを作品という他者が受け取れる形にすることができます.作品は,受け手の世界(イメージとしては,その人が暮らしている精神世界的な部屋)の壁に新しい窓を作ります.その作品という窓からは,受け手が今まで見たことがない新しい世界(作者が描いた独自の世界や伝えたいメッセージ)を見る事ができます.
さらに,その新しい世界に熱烈に惹かれた人は,窓から外を眺めるだけではなく,窓を開け放って外の世界に飛び出してもいけます.外の世界から気に入ったものを持ってきて部屋の中に飾ることだってできるでしょう.
このように「窓的なアーティスト」という比喩は,受け手が作品に触れた時に生じる精神世界の変化を表せているでしょう.
作品という窓から新しい世界を知ることができたり,ともすれば窓から新しい世界に歩を進める.そういった意味では,窓を作るのはアーティストにかぎらず,もっと広義に捉えられそうです.スポーツ選手とか先生とか,同僚,家族や友人などなど.自分の知らなかったら新しい世界を見せてくれる人ならば誰でも良いのです.
それでは,「鏡的なアーティスト」とはどういうものか.
たぶん「窓的」と全く別の性質を持つものというわけではなく,そこからちょっと違った性質を持っているものという位置づけになると思っています.
受け手の精神世界という部屋の中で,まったく窓の無い壁面もあれば,ところどころ窓がある壁面もあります.部屋の中にはその人が選んだ机やベッド,ぬいぐるみやペンが置いてあります.
窓からはいろいろな外の世界を見ることができ,身の回りに置かれているお気に入りのモノたちは,よりじっくり見れるし触れられる.そんな中で,一番身近なモノなのに普段は見ることが出来ていないモノ.それが自分自身なのです.
そして,自分自身を見るために必要なのが鏡.
言い方を変えれば,鏡は覗いたものを映し出す窓とも捉えられます.
自分自身を見れるようになることで,見える世界が広がる.
これはとても面白いことだと思います.
「鏡」と「窓」では,新しい世界を見た後に起こす行動の性質が違います.
「窓」の場合は,窓から見える世界に自分が入り込んでいく,一種の同一化が起こす行動になります.憧れている作品に近いものを作りたいとか,憧れている人のようになりたいとか.これが突き進んでいけば,憧れのものと全く同じ作品ではなく,個人の独自性も表れてくると思います.ただ,出発した段階での方向性は憧れのものと一緒になるでしょう.
一方で,「鏡」の場合は,自分自身を見つめ直して行動を起こすことになります.目指すものが明確に見える形で存在するわけではないので,進む方向や方法を決めるのは困難となります.しかし,既存の方向性に沿った行動ではないので,進んでいけば今まで世の中に無かった独自性を作り出すことができる可能性があります.
この「窓」と「鏡」の違いで面白いのは,「鏡」の場合だと全く別分野に対して影響力を与える可能性があるということ.
「窓」の場合は,歌手に憧れたら歌手を目指し,画家に憧れたら画家を目指すというように分野従属的です.
一方で「鏡」の場合には,見るものが鏡に映った自分自身なので,自分にある分野を目指すことになります.例えば,大森さんはシンガーソングライターですが,その大森さんの作品という鏡を見た人が,画家を目指したいと潜在的に思っている人だった場合には画家の分野で行動を起こすというように.
もしかしたら,スポーツ選手を目指すきっかけが,歌手の鏡を見たからだったりするかもしれないのです.
このように一見関係の無い分野であるにもかかわらず,もっと上位層で影響を与えていたら面白いなと思います.
また,少し違う観点での「鏡」と「窓」の違いは,行動を起こさせる作用が後押し的か牽引的かというものです.
すでに書きましたが,「窓」の場合は目指すモノがあるため,アーティストや作品から見たら,受け手を牽引して行動を起こさせているというイメージです.
「自分はこの分野でこんなことをやってるんだ.かっこいいいだろ,お前も入ってこいよ」的な感じです.
一方で,「鏡」の方は受け手を後押しして行動を起こさせるというイメージです.
「自分はこの分野でこういうことをしているの.あなたは?ああ,そっちの分野に興味があって,そういうことが得意なのね.じゃあ,そっちの方でなにか面白いことやってよ.自分とは違うものを見てみたいから」って感じ.
最後に,「窓的なアーティスト」か「鏡的なアーティスト」かというのは,受け手側の見方にもだいぶ依存して変わると思います.
作品の具体的な部分に注目してメッセージを受け取れば,窓としてその世界がくっきりと見えて来るだろうし,逆に作品を抽象的に捉えて制作理念などを捉えれば,窓ガラスの反射が鏡のようになり,見えた理念を介して自分自身を見つめることができるだろうし.
はじめに書いたように,全くまとまっていない内容ですが,考えたことをつらつらと書き連ねてみました.