前回の記事で、TCGっぽいボードゲームのひとつとして「きょうあくなまもの」を紹介しました。
その際に、「きょうあくなまもの」のルールやプレイの様子を知るため、プレイ動画を見ていたのですが、そこで少し気になったことが。
見ていた動画はコレです↓
長い動画ですが、今回の記事で重要なのは1:55~2:30の部分です。
東京人狼学園がきょうあくなまものをプレイしてみた。その0001
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用語の解説
動画の説明の前に、用語を解説しておきます。
将棋やチェスのような、各プレイヤーがゲーム状態の全ての情報を知れるゲームを「完全情報ゲーム」といいます。一方で、トランプのポーカーやUNOなど、相手の手札が見れないようなゲームは「不完全情報ゲーム」となります。
TCGも、相手の手札や相手の山札、自分の山札の順番は見れないため「不完全情報ゲーム」となります。
「完全情報ゲーム」か「不完全情報ゲーム」かというのは、単にゲームの分類の仕方の一つであるため、どちらが面白いとか優れているとかいうものではありません。ただし、「完全情報ゲーム」ならではの、「不完全情報ゲーム」だからこその面白い要素やメリットというのはそれぞれ存在していると思います。
冒頭の動画の状況
それでは、冒頭に貼った「きょうあくなまもののプレイ動画」ではどういう状況になっているかというと、
前提:
- ゲームで使うカードセットの内容(何のカードが何枚あるか)は両プレイヤー共に知っている
- 一つの山札を互いに共有する
- このゲームで普段は見れない領域は、相手の手札と山札
やり取り:
- プレイヤーAが山札を見てカードを1枚探す効果のカードを使う
- プレイヤーAの見れない領域は、相手の手札だけになる
- カードセットの内容は知っているので、見えている領域のカードと合わせれば、相手の手札の内容も割り出せる
- 原理的に相手の手札を割り出せるので、その時間を省くために手札を公開する
- この時点のプレイヤーAは全ての領域のカードを見れている
ということが起こっています。
つまり、プレイヤーAにとっては一時的に「完全情報ゲーム」のようになっているということです。
厳密に言うと「完全情報ゲーム」とは少し違います。プレイヤーBは山札とAの手札を知らない点と、プレイヤーAは山札に何のカードがあるかは分かるけれど、シャッフル後のその順番はわからない点です。ただ、TCGらしい「不完全情報ゲーム」からはかけ離れ、「完全情報ゲーム」に近い「不完全情報ゲーム」になっています。
「完全情報ゲーム」っぽくなる弊害
TCGが「完全情報ゲーム」っぽくなると「不完全情報ゲーム」ならではの面白さが減るという弊害があります。たとえば、相手の使ってきたカードの種類や順序から相手の他の手札を推測したり、同じように相手が自分の手札を推測することを逆手に取ってブラフを仕掛けたり。次のドローで目当てのカードが引けるかもしれないというワクワク感だったり。そういう面白さは「完全情報ゲーム」っぽくなると激減してしまいます。
山札サーチで手札を見る
「きょうあくなまもの」が、ゲームのコンセプトとしてTCGらしさを出すために「山札からカードをサーチするカード」を採用するのは頷けます。しかし、一つの山札を二人のプレイヤーで共有するルールのため、山札サーチカードが相手の手札を見る効果も持ってしまい、「完全情報ゲーム」っぽくなる状況が起こりやすくなっていました。通常のTCGはプレイヤーそれぞれが山札を持っており、相手の山札すべてを見るカードは存在しますが少ないため、こういう状況は起こりにくいです。
そもそもTCGはコレも容認しているのでは?
この記事を書いていて、そもそもTCGは「完全情報ゲーム」っぽくなることも容認しているのでは?とも思いました。TCGでは「相手の手札を見る」効果はよく採用されています。「相手の手札を見る」効果によって「完全情報ゲーム」っぽくなります。ただ、これは一時的なもので、その後山札からカードをドローした時点で「不完全情報」に戻ります。
1ゲームの中でも、「完全情報ゲーム」っぽくなったり、「不完全情報ゲーム」に戻ったり、そういう緩急が付くことによって思考の仕方を切り替える必要があり、そもそもどのタイミングで「完全情報」にしたいか、のような考える要素も加わります。このような変化があることも面白さに繋がるのかなと思います。ただ、見れないはずの領域が簡単に頻繁に見えすぎてしまうとそれも良くないので、バランスは重要です。
ささいな気になる点から書き始めたこの記事ですが、終わる頃には思った以上に長くなっていました。
やはりTCGの面白さの一つには、いろいろな効果のカードが追加されて今までの常識のルールを覆しつづける(今回の場合なら、見れないはずの領域を見れるようにする)点にあるのかなと思います。