いま、拠って立つべき“日本の精神” 武士道 (PHP文庫) Kindle版
新渡戸稲造(著), 岬龍一郎 (翻訳)

新渡戸稲造といてば、旧5千円札の肖像画にも起用されていた眼鏡の人。
お札で顔は見ていたけれど、どんなことをした人なのかは詳しく知らなかったので、kindleで著書を読んでみた。

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日本の武士道の精神を、海外諸国に知ってもらうために、初めて英語の本としてまとめられたのがこの本。ちなみに、原著は英語なので、この本はその日本語訳版。
他の国の道徳心のベースとなっている宗教には、原典となる書物があるが、武士道に関しては日本の道徳心のベースであるものの原典のようなものはなく、新渡戸稲造のこの本が、初めて武士道というものがどういうものなのかを明文化したらしい。
当時は、海外から、日本が蛮族のように勘違いされていたこともあったらしく、新渡戸稲造の武士道の本がベストセラーになることによって、日本の武士道の精神が見直され、武士道ファンが海外にも生まれたらしい。そう考えると、日本ファンを増やした功績は、お札に起用されるだけのことはあるなと思った。

内容としてはけっこう難しく感じた。
武士道の要素である、義・勇・仁・礼・誠などの精神がどういうものかを説明している。
海外の人に武士道を説明するという本であるため、「武士道のここは、イギリスの騎士でいう〇〇に近いよね」のように、海外の作品や宗教家・哲学家の話を引用して解説されていることが多い。「皆さんご存知のシェイクスピアの〇〇のように」みたいな箇所が多々あるので、新渡戸稲造と自分の前提知識の差が開きすぎているからこそ、すんなり理解するのが難しい印象だった。ただ、そこらへんは、軽く流して雰囲気で理解して読みすすめていくことにした(そうしないと読み終わらないので)。
武士道を直感的に理解している日本人でありながら、英語もでき、キリスト教徒でもある新渡戸稲造だからこそ、武士道を海外に発信できたのだろう。

また、読んでいく中で、武士の切腹という行為は非常に特殊なのだなということが分かった。命よりも重要なものがあるという考え方は、後世にのこる話としては美談となるけれども、実際に当事者となれるかと問われるとすごく思い問題となる。
その点に関して、あとがきに、

江戸時代の武士がすべて「義」を重んじた、などというつもりはない。
たとえば、戦国時代の武将・上杉謙信が塩不足に悩む宿敵・武田信玄に塩を送って助けたという話が、武士道の美談として語り継がれたということは、逆にいえば、そうした「フェア・プレーの精神」を持ったサムライが少なかったことの裏返しとも考えられるからだ。

とあるように、当時の武士としても、武士道の精神を全うするのは困難で稀有なことだったことには少し安心する。全員が完全にこなすことが難しいとしても、武士道という理想を追求するという意識が、世の秩序を保つ上で重要だったのだろう。