この前の記事に関連して。
「悪」とは何かについて少しだけ調べてみたのですが、典型的な「結論を出そうとすると深みにはまる概念」でした。よく使われる言葉だけれど、一つの定義で定められているわけではないものです。これだ!と決めようとして深く考えても答えが出ないものなのでしょう。
以下、主にWikipedia からのピックアップ。
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悪 | Wikipedia
まず1行目には、
悪(あく)とは、文化や宗教によって定義が異なるものの、概ね人道に外れた行いや、それに関連する有害なものを指す概念である。
「文化や宗教によって定義が異なる」ようです。
「悪」とは「強い」こと
日本語における「悪」という言葉は、もともと剽悍さや力強さを表す言葉
昔の日本での「悪」は、強いということを表す言葉だったようです。
「悪」とは「突出した」こと
本来「悪」は「突出した」という意味合をもつ。
...(中略)...
古代中国における「悪」概念は、「命令・規則に従わないもの」に対する価値評価となった。一方「善」概念は、「皇帝の命令・政治的規則に従うもの」に対する価値評価である。
今の自分的には、この考え方に興味があって、少し前からも悪をこういうイメージで捉えていました。ルールに従うか従わないか。「legal」か「illegal」か。
ルールというのは社会一般の幸福が保たれるように作られたものなので、場合によっては例外が発生したり、社会が変わればルールも変わったりします。ある社会でルールを破ると、「悪」ということになりますが、同じことを別のルールのある社会で行ったら「悪」とはならない場合もあるのです。また、同じ社会の中でもルールで想定していなかった事柄や個々の問題に対しては場合によってはルールを破ることのほうが幸福になったりもするでしょう。
以前、Gia文という物語を書いているジャコモさんに、Gia文でのキャラクターの作り方の話を聞いたことがあります。たしか、基本的に2軸で捉えられていて、1軸目に「ロウ(ルール尊守)かカオス(ルール破る)か」、2軸目に「ライト(利他的)かダーク(利己的)か」があり、「このキャラはロウーライトだからこういう行動をとる」とか「このキャラはロウーダーク」とかなるらしいです。これと絡めて考えると、「悪」はカオスに対応しそうです。また、悪かどうかとは別の軸も含めて、組み合わせを考えてみると面白そうかなとも思います。
「悪」の対義語
悪は善と対比される。
上記はWikipediaに書かれている一文。自分も「悪」の対義語は「善」だろうと思います。
しかし、世の中ではもう一つ、「正義」を「悪」と対比して使っている場合もあります。「悪」について調べていくと、むしろ「正義」という言葉がどこか怪しく感じられてきます。
どちらも定義が曖昧なわりには強い言葉なので、重要な場面で軽率には使わないほうが良さそうです。
その他、哲学や宗教での「悪」
Wikipediaには、哲学者や各宗教が「悪」をどのように扱っているか説明がまとめられています。一応、全部読みましたが、Wikipediaでまとめられているものを読んでも、難しいものだったりそれぞれが違う捉え方をしているので、本当に文化や宗教で大きく意味合いが変わってしまう言葉なのだなと感じました。同時に、一つ一つの考え方を詳しく調べようとしたら莫大な時間がかかりそうだなとも。なので、今のところはあまり深みに入り込まないようにしておきます。
また、仏教の欄の説明で、
仏教の内部には善と悪の対立に似たものは直接的に言及されていない
...(中略)...
仏教哲学の体系内の苦は「悪」に相当すると推測されうる。
...(中略)...
無知は全ての悪の根源であるとされる。
というのは興味深かったです。
jecyさんの連載している「週刊こむぎ」を読んでいていてもそう思うのですが、仏教の考え方は面白いものが多いです。そもそもが、他の宗教でよくある「神を信じて救ってもらおう」というタイプではなく、仏教は「仏とかいうすごいものになったやつがいるから、それを真似して悟りを開いて自分も仏になろう」という精神なところも面白いです。
最後は話が脱線しましたが、「悪」はいろいろと定義が異なって複雑なので、深く追い求めすぎず自分の都合の良い解釈を持ってくるのが良いのかなと思います。