相田みつを美術館に行ってきました。
自分が行ったときには第65回企画展 開館20周年記念企画第2弾というのをやっていたようです。

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いつもどおりの、好きな作品のメモを列挙。

いのちいっぱい(じぶんの花を)

筆の感じが良い

ちからをいれて/詩)わたしにできぬことばかり/入力不力

ちからは入れるけれど力みすぎないで、というコンセプトのモノたち。中庸を目指すということなんだと思う。
「ちからをいれて」には、失敗の山とメモにはある。

時(アノネ時は金なり)

時は金なりとはいうけれど、時は金なんかじゃなくて、時は存在(いのち)なのだという。
同じ時でも松と竹ではその時の価値は違い、松田さんと竹田さんにとってもその時の価値は違う。

聞けば当たり前のことだけれど、日頃意識などしていなかったことに気付かされる作品です。

うそ

一番イヤなのは、じぶんがじぶんにうそを言うとき

やっかいなもの

じぶん

シンプルながら、そうだよなぁと思い知らされる作品です。じぶんをどううまく扱っていくかが一生の中で一番の課題なのかも。

自信はなくて

うぬぼれてばかりではずかしいという作品。
最後の、はずかしいはずかしい と繰り返されていることが気持ちを強調していてかなりはずかしい。

その他のこと


展示の途中の説明とか、映像とかから印象に残ったことを

仏教に詳しいけれど出家しているわけではない

相田みつをさんは、仏教、特に禅に関わりが深くて、勉強しに行ったり修行していたりしたらしいのです。そのせいで出家していると勘違いされたり、作品が説教っぽいと思われたりとかもあるそうな。そのような勘違いをされないために、作品の中で自分のダメさ加減(新年の3日くらいは真面目でいたい的なやつ)を表して、お坊さんのような偉い人ではなく普通にダメなところもある自分が書いてるんだよと分かるように気をつけていたとか。

後ろ姿

人の後ろ姿は、無意識の振る舞いが現れているから、その人そのものが現れているとのこと。
なるほど納得できるところもあります。自分の気をつけていないところで自分の本性が他人にだけは見られている。

麗老

麗しく老いる
相田みつをさんの作った熟語のようです。相田さんの尊敬している女医さんの後ろ姿から、年老いてもしゃんと立っている姿から麗老という言葉が生まれたとか。
そして、相田さん自信も麗老を目指していた。
自分も、老いるとしても麗しく老いたいものです。

長い詩、短い書

相田みつをさんの作品を作る過程として、まず長い詩を書き、それをもとに短い書を書くという順番だったとのこと。
じっさいに展示でも、書の横にその元になった詩も一緒に展示されていました。長い詩の中でいちばん大事な部分、本質的なことばを選んできて短い書にまとめる。そうすると、あの長い詩の内容のほとんどが書だけでも言い表せている。そんな作品ばかりだったように感じます。
作品の内容としては感情的なものが多いイメージですが、その作り方としてはだいぶ論理的なものだったようです。
もやもやしたものの中からきっちりと大事な部分をとってくる。自分もそういう技術を伸ばしたいものです。

卓上カレンダー



買ってきた卓上カレンダー
月ごとに作品が書かれていて、上の部分だけ切るとポストカードとしてもつかえるとのこと。


自分が特に好きなのはこの2作品
「根はみえねんだなあ」のねがかかっているところとか。
エンジン、かけましょう。