映画「シン・ゴジラ」を見てきました。

自分の小さいころに見ていたゴジラは、「コジラvsモスラ」や「ゴジラvsデストロイア」のような、怪獣同士が戦うというものでした。なので、その頃はゴジラが擬似的にヒーローになって敵の怪獣を倒すというわかりやすい内容でした。一方で、今回の「シン・ゴジラ」は、ゴジラという日本を襲うある種の未知の災害に対して日本人はどう対処するのかという、政治的や軍事的な部分が内容の大きな部分を占める話でした。そういう点で言うと、小さい頃に見た子供向けの映画というよりかは、大人向けに作られている作品です。

以下、ネタバレ注意。

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現実の日本の延長上としてのSF


「シン・ゴジラ」を見て思い出したのは、3.11の東日本大震災。想定外の災害が起きた時に、日本政府がどう動くのかというのが重なりました。国民に対する状況の説明や、自衛隊との連携、海外との関係性など。さらに、ゴジラが形態を変えていくという「現状と今後がどうなるかわからない存在」というのが福島第一原発事故の「状況がわからなかった」時とすごく似ているなと思いました。

また、ゴジラが原子力をもとに生まれた存在であることや、他国がゴジラを殲滅するために東京に核兵器を打ち込もうとする状況、石原さとみが演じていたアメリカの役人の祖母が第二次世界大戦の広島で被爆したという関係性。第二次世界大戦で初めて人に向けられて原爆が使われた日本という前提があっての設定になっていました。

このように、日本の災害や第二次世界大戦という実際の出来事に絡めてゴジラというフィクションの要素が追加され、それに対する対処はリアリティを重視して進んでいきます。そういったところが、「もしこういう事態が起こったら日本は、我々はどう対処するのか」というある意味シミュレーションのようなものを見ている印象でした。

ちなみに、個人的に現実の出来事を意識的に絡めたフィクションというのはすごく好きです。絶対可憐チルドレンのお爺ちゃんお祖母ちゃん世代は、第二次世界大戦でエスパー兵器として戦っていたという設定とか好きですし。

清々しいくらいの破壊シーン


個人的にこの映画で好きだったのは破壊シーン。
現実で起こった災害ではなく、映画でありフィクションであると思って見れるので、こんだけ破壊してくれるなら逆に清々しいなとまで思えます。人が死ぬシーンというのは直接的にはほぼ見せずに、建物を破壊するシーンばかりなのも見やすさの一端であると思います(映してはいませんが、話の内容からしたらかなりの人数が犠牲になっているようですが)。
また、知っている場所が破壊されるというのもやはり現実味があって面白いですね。二回目のゴジラの上陸で、鎌倉から武蔵小杉まで歩いてきているので、「このルートなら自分の住んでいるところも潰されただろうな」とも考えましたし。最初の方は、こんなに破壊してかわいそうとか思っていましたが、放射線のビームを吐けるようになった時に、首相達の乗っているヘリを破壊したり東京の広範囲を火の海にしているシーンで、「こんだけ破壊しているなら逆に清々しいわ」と開き直りました。
あとは、最後の作戦の際に、無人機ではありますが新幹線や在来線の電車など、自分も利用したことのある乗り物に爆弾を積み込んでゴジラに特攻させていたシーンも良かったですね。身近なものが緊急時に派手な利用方法をされているのは、親近感を抱きながら盛り上がれる感じがしました。

政府、自衛隊、学者の連携


話の内容的に興味深かったのは、問題解決のために政府、自衛隊、学者の連携をとる部分。現在の政界トップではなく、次期トップを目指している若い世代が、ゴジラへの対処方法を見つけるためにツテで学者を集めて日本の為を考えて独自に動き始める。集まった学者陣も正統派ではなく変人ばかりというのも特徴的です。そして、ゴジラに対処するためには政府、自衛隊、学者の連携が必要というのが映画の中でよく描かれています。政府が対処法発見のために学者たちを集め、ゴジラのより詳しい情報を得るために細胞のサンプルを自衛隊が回収してくる。一方で、ゴジラが次に動き出したら核兵器を打ち込むと宣言している他の国の連合を、対処法の解析や準備の時間を稼ぐために政府の人が説得する。そして、学者陣が対処する薬剤を作り、各地の工場で量産、ゴジラへの投与の実働作戦は自衛隊が行うという、まさに3者の連携があってこその解決だったんですよね。
ここらへんは、産学官連携と一致しているなと思います。官の政府が全体の調整をして、学者が具体的な解決方法を解析考案し、産は一般的には企業ですが、解決策を実際に世の中に適用するという意味では、災害時の自衛隊に当たります。

あと、事前に情報で知っていましたが、政府や学者、自衛隊で使用しているノートパソコンが違うというのも現実と一緒で面白いですね。自衛隊は防塵防水のタフブックを使っている一方で、学者はMacbookを使っていたり、学者の中でも政府機関の所属だとThink Padだったり。

ラストシーン


「シン・ゴジラ」の印象的なラストシーン。ゴジラを凍結して機能停止させた後、骨だけになっていく中で、最後にゴジラの尻尾に複数の人骨のようなものが混じっているところ。
これは詳しく説明はされていないのでどういうことなのか定かではないですが、いくつか仮説を考えられる余地が残されているなと思います。

ゴジラの次の形態

一つ考えられるのは、ゴジラの次の形態というもの。今回のゴジラは、一個体でありながら急速に進化できるというのが特徴でした。最初は深海魚のような姿から、出来損ないのゴジラ、見慣れたゴジラ、さらに背中やしっぽからビームが出せるようにも変化していっています。その進化速度からすると、次に人間形態のようなものがあっても不思議ではないかなと思います。その形態に入る前に凍結させられたので骨だけは残っていたと。
普通の生物の進化を考えると段階を飛ばしすぎてあまり現実的ではないですが、そもそもゴジラは普通じゃない生物です(原子力で活動しているし)。陸地に出てエラが無くなったり、周囲を飛ぶヘリや戦闘機に攻撃するために背中からビームを出せるようになったりしているので、周囲の環境への急速的な適応能力があるのは間違いないです。そもそも、ゴジラは水生生物から始まったのかどうかも定かではないです。もしかしたら、特定の形態は存在で、海の中で他の魚などを模倣して適応することであの形状になったのかもしれません。そう考えると、陸地に出た後にたくさんの人間が周りにいたので人間を模倣した形態に変化していたのかもしれません。

人間を吸収していた

もう一つ考えたのは、ゴジラが人間を吸収していたということ。一番考えられるのは、ゴジラを研究していたという、失踪した元教授というのがゴジラの一部になっていたというもの。ただ、人骨は複数あったので、1人だけが吸収されたわけではないようです。これに関しては、陸地にあがった時に被害者を取り込んで複数になったのか、昔の原発事故の被害者などが含まれていたとかが考えられそうです。

現実での連携


最後に、エンドロールを見て思ったこと。
エンドロールの中に、さまざまな大学の教授も含まれてることに気づきました。専門的な用語の使い方の監修や科学的な設定で関わったんだろうと思います。自分の知っているところでは、折り紙関連の研究をしている先生も含まれていたので、意外と細かいところまで丁寧に作られているんだなと関心しました。少し古い考え方かもしれませんが、実際の科学を元にSFができ、それを元に科学が進み、さらにそれを元にSFが、、、というようなサイクルもあるので、こういうのは興味深いなと思います。
また、自衛隊も車両や戦闘機などで撮影協力をしているようです。このように、映画の話の中だけでなく、映画の作成のためにも実際に関連する各分野との連携があったんだなと認識しました。
こういう際に協力に呼ばれる人達というのは、本当に似たような事態が起こった場合にも頼りにされそうだなとも思いました。
それだけ、ある分野に精通しているっていうのは魅力的なことなんだなと再認識しました。