少し前に見つけたブログで、面白かったのでちょくちょく見に行っています。
大学教員の方のブログで、研究室の学生の指導についてのノウハウなども描かれていて興味深いです。
発声練習
その中でも、特に気になったのが
レトリカルクエスチョン(rhetorical question, 修飾的疑問文)
に関する記事。
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参考リンク
レトリカルクエスチョンの対処方法はバッドノウハウ | 発声練習
「なぜ」が悪いんじゃなくてレトリカル・クエスチョンなのが悪い | 発声練習
ちなみに、上記の記事からリンクを貼られているこれらの記事も参考になります。
レトリカル・クエスチョンに気をつけよう(コミュニケーションのヒント)| 結城浩のYahoo!日記
過剰な防御反応からの脱却(コミュニケーションのヒント)| 結城浩のYahoo!日記
レトリカルクエスチョンとは何か?
レトリカルクエスチョンというのは、質問の形をしているけれど、実際には話者の意図していることを強調して伝えているもののこと。
例えば、
なぜこれがここにあるの?
という文は、発話者の意図することに関して、いくつかの捉え方が出来ます。
1. これがここにある理由が知りたい
疑問文として、あるものがここに置かれている理由を知りたいという話者の意図。
疑問文なので、その理由を答えてあげれば感謝されるでしょう。もし理由を知らなければ、知らないと答えれば良いだけです。
2. これがここにあるはずではない
レトリカルクエスチョン(修飾的疑問文)として、これがここにあるはずではないと主張したいという話者の意図。
「これをここに置くんじゃない!」とか「もとの場所から動かすな!」といった捉え方になることも。
基本的に、非難や叱責のような相手を責める意味になるので、返答する側は謝ったり弁明することになります。
この他にも、
いつできるの?
→完成時期が知りたい
→すぐに完成させろ!
どこ行くの?
→行き先が知りたい
→ここにいろ!
などなど、日常生活でも思い返してみるといろいろな場面で使われていると気づきます。
なぜ同じ文章でも意味が変わるのか?
言い方によって意味が変わる
周辺言語(パラ言語)というものがあります。周辺言語というのは、声のイントネーションや間のとり方、表情、姿勢などといったものです。文章としては同じ「なぜこれがここにあるの?」でも、このような周辺言語によって捉えられる意味合いが変わってきます。
話者によって意味が変わる
日頃よくレトリカルクエスチョンを使う人が、レトリカルクエスチョンとも捉えられることを言ったら、レトリカルクエスチョンだろうと認識するでしょう(この要素も周辺言語の一部とも言えます)。
「この人がこういう言い回しをした時は、質問じゃなくて責めている意味だな」と解釈されてしまうのです。
上記にあげたリンクは、主にこの観点で考察しています。
受け手によって意味が変わる
「話者によって」と重複しつつ対になる要素で、受け手によっても捉える意味が変わるというもの。周囲にレトリカルクエスチョンを多用する人が多くいたり、そういう人と長時間関わっていたら、他の人(必ずしもレトリカルクエスチョンを多用する人ではない人)の発言に対しても、レトリカルクエスチョンと捉えてしまうでしょう。
これに関しては、上述のリンクの、過剰な防御反応からの脱却に関わってきます。
質問なのか責めているのか
レトリカルクエスチョンの問題点は、話者の伝えたい意図と受け手の解釈した意図が一致しないことが起こる点。
質問しているのに、責めれられていると解釈され謝られる(質問の返答がすぐに得られない)
責めているのに、質問だと解釈されて返答され、さらにこの齟齬を責める
この齟齬によって、コミュニケーションがうまく進まなくなります。
レトリカルクエスチョンを多用すると、議論したい場でうまく質問が伝わらなかったり、高圧的な人と認識されてしまったりするので、極力、レトリカルクエスチョンは使わないようにしたいですね。
ちなみに、レトリカルクエスチョンは反語の一種になるようです。
反語 | Wikipedia
今回は、非難や叱責になるようなレトリカルクエスチョンを例にあげましたが、反語自体は文意を強調するためのものです。使いようによっては、非難や叱責ではなく良い意味にも使えるようです。